新年

12/21
三重県四日市cafe MONACAでライブ。新しくできたお店。地元tioのおふたりとセッション。久しぶりにヴァイオリニストの宮嶋哉行さんが観に来てくれた。中・高生の息子さんと。車を泊めに店を出たお父さんを待って、二人店内でジュースを持って所在無さげに立つ姿がなんともいえず話しかけたり。「クラスのみんなはエグザイル聴いてて話が合いません」てなんだか将来有望な若者とお話ができて嬉しかったです。翌日、誕生日ケーキもお店でご馳走になりました。美味しかったです。ありがとう。

12/23
午前中、KBS京都ラジオに森谷威夫さんの番組に出演。二回目。携帯電話を落として液晶が割れた話とか。いつか僕にラジオ番組やらせてください。

12/27
金沢メロメロポッチでライブ。京都駅を出発して、福井あたりが雪で真っ白。金沢は雪は積もってなかった。泊まりは、メロポチの熊野さんがホテルの手配を忘れていたため、熊野さんの使っている山小屋へ。銀世界でした。軽く遭難したような。ストーブに鍋のせてご飯炊いたり。魚沼産コシヒカリと永谷園で朝食。贅沢でした。オーガニック。

12/28
富山nowhereでライブ。sabusaveさんが音響とライブもしてくれました。とても面白い方です。っていうと陳腐ですが面白いです。山形のFRIDAYZの山口君みたいな面白さです。sabuさん、綺麗なギター弾いていました。音響もお疲れさまでした。ありがとう。打ち上げもいつも素晴らしいメニューでありがとうございます。美味しさに、麻痺してないか心配になります。

12/30
京都市左京区恵文社一乗寺店COTTAGEにて2014年最後のライブ。マイクなしのソロワンマンライブ。生音でライブするのがとても楽しいです。楽しくて、やり甲斐があるので継続してやっていきます。次回COTTAGEでのライブは7月頃かなぁ。観に来て下さった岡野大嗣さんから御本を頂戴しました。「サイレンと犀」という本です。短歌がたくさん詰まっています。あとがきの中に、「自分が素晴らしいと感じた演奏が、忘れられずに心に残ってお守りになる」というような文章があります。僕はこの本の中に、既にお守りになる歌をまずひとつ見つけました。今度本人にお会いした時に伝えようと思います。同じくこの日にライブに来て下さっていた細馬宏通さんが、偶然「サイレンと犀」を恵文社で購入されていました。また細馬さんともお話したいなと思います。ライブ後は元田中のザンパノで打ち上げ兼忘年会でした。シュークルートが食べたかったのだ。また行こう。

新年
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。今年も年齢なりの歌を歌っていければと思います。弾き語りレッスンですが、ちょくちょく問い合せを頂いています。近くの方、遠方の方、同じく継続的にレッスンでお会いしたいと思っています。故に色々な事がもっとスムーズに行くように、種々働きかけをしています。また決まり次第お知らせします。今年はまたバンドでいくつかライブをします。COTTAGEくらいの広さで、マイクなしワンマンライブをするようになって、生音が綺麗に響き届く場所であれば、音響がない状態が一番良いと思うように至りました。ただ生音で2時間ほどのワンマンライブを構成し、自分もお客さんも満足するような結果がある程度出るようになると、あまりその先にノンマイクの状況でチャレンジすべき新しい事がないように感じたのも正直なところです。つまり、これ以上ストイックにならないで今の状態をギリギリ維持する事が自分のノンマイクライブにとって一番大事であるように思います。ノンマイクライブでこの先新しい事をやろうとすると、ある種の形骸化した前衛表現になってしまう。あくまでシンプルに歌をうたい、一番純粋な状態で音を届けるためにノンマイクのライブを継続していこうと思います。そしてその反対にある、バンドでのライブも。あとはレコーディングですね。こちらもがんばります。

京都市の左京区に暮らしています。もともとは京都市の右京区で産まれました。左京区に越して13年くらい。最初の5年くらいは、他区の職場に行くだけで住んでいながら左京区はほとんど通り過ぎるだけの場所でした。同じ京都市内という狭い範囲の話でおおげさなと言われそうですが、通り過ぎるだけで僕にとって長らく左京区は「よくわからない地域」であり、ずっと自分が「よそもの」という気持ちがありました。歌も当時から歌っていましたが、「京都の音楽シーン」や、「左京区シーン」みたいなある地域で括るカテゴリーや、「うたもの」や「弾き語り系」といった特定の音楽的な特徴を通じて括られたカテゴリー等、だいたいのミュージシャンはおおかた何らかのカテゴリーに分類されるのですがそういったこともまるでなく、そして大きな流行にも左右される事もなく現在まで活動してきました。そして今も左京区に暮らしていて、さすがに知っている人が増えて自分が色んな種類の人の輪に生かされているなと感じるようになりました。ひとことで左京区といっても広いし、おそらくこの区名がブランド的に使われる際は、叡山電鉄沿線のとても狭く限られたエリアをさしていると思います。他府県から移り住んだ人ほど、僕は左京区に過度な思い入れはありません。だって実家も市内だし。雑貨屋と喫茶店がないと死んでしまう訳でもないし。生音でなぜライブをするのかということのタイミングでも書いたと思うのですが、結局人は自分が見渡す事の出来る範囲でしか責任とれないなということを最近強く思います。幸せは目や耳や指先が届く範囲でしか感じる事が難しい。かわりに不幸せは凄く遠い世界の事でも凄い駆け足でやって来たりする。かえる目の細馬さんはよく、「ニャーニャー」とハミングしている。ニャーニャーってネコじゃん。てこないだふとトイレから出た時に思った。