中上健次ナイト

来たる5月3日、京都市美術館前庭のやなぎみわさんの移動舞台車上にて、「舞台車上 中上健次ナイト2015」というイベントが開催されます。
これは中上健次に影響を受けたアーティストによる朗読や演奏、ポールダンスやトークショウ等盛り沢山の内容のイベントです。
錚々たる出演者陣の中で、長谷川健一バンドも演奏させていただきますが、唯一中上作品に直接的に触れたりなぞったりといった内容の出し物ではなく、イベントへの関連性が曖昧とした出演者だと告知をご覧になった皆様は思われたに違いありません。

ある文学作品を映像化・舞台化する際に原作をどう表現するのか。ストーリーを追いかけ、文字通り原作をなぞることで映像化や舞台化が成功する場合もあればそうでない場合もあります。
確かに私も中上健次の世界観からは大いに影響を受けておりますので、いつも通り自分の歌を歌うことでそれらが滲み出て皆様に伝わればなぁと思っております。

さて、この中上ナイトでは私は出演だけにとどまらず、やなぎさんよりイベントのコーディネートという大変な大役を仰せつかることとなりました。
歌を歌う人間としての、これまでの作品制作やライブ活動とはまた別の脳みそと身体を使ってイベント開催までのお手伝いをしてきましたが、幸いとても貴重な楽しい時間を過ごさせていただきました。歌以外にも色んな仕事をしてきた38年間が、一気に役に立ったようなこの数ヶ月でした。

私が中上健次作品を初めて読んだのはおそらく、14年ほど前の24歳頃です。まさに作品は「日輪の翼」。これまでブログや様々なインタビューで話しましたが、当時はフリージャズや即興演奏という名前でカテゴライズされた音楽を熱心に聴いていました。アルバートアイラーやエリックドルフィーが特に好きでしたが、ある日、日本人の阿部薫という死後に真っ黒の装丁の本が出されていたミュージシャンのことを知りました。カリスマ性の非常に強いミュージシャンで、演奏は賛否、また好き嫌いがはっきり分かれるところではありますが20代だった私は夢中になって彼の音源を聴きあさりました。その真っ黒の本は「阿部薫覚書」というタイトルのもので、そこに中上健次の文章が載っていました。中上健次を意識した初めての時でもありました。
あれは、何の本だったのかもう覚えていないのですが、当時はまだ実家で両親と暮らしており、母親が図書館で借りてきた本の中に中上健次「日輪の翼」のことが載っていました。中上健次の略歴紹介と、路地の若者が老婆を冷凍トレーラーに乗せて日本中を旅するといったあらすじ紹介でした。
なんだか無茶苦茶な話で面白そうやなぁと思い、まず「日輪の翼」から中上健次作品を読み進めました。
その時期もう既に歌を作って歌っていましたが、「火まつり」「鳥のように」といった歌を作り、歌詞の内容はさておきタイトルを中上作品から勝手に拝借しました。

以上のように私が中上健次に触れたきっかけは音楽です。それはフリージャズや即興演奏と呼ばれる何か形容し難い熱いものを内包した表現でもありました。私にとっては中上といえばジャズ、といえるかもしれません。
中上健次ナイトでいとうせいこうさんとステージに立ってもらいたいミュージシャンは、船戸博史さんしかいませんでした。
二十代の頃に初めて観に行った即興演奏のライブに船戸さんは出演していました。
船戸さんを初めて観たのがフリージャズのセッションだったので、ふちがみとふなとに触れたのはもっと後でした。
それ以来しつこくライブに押し掛け、その後作品を一緒に作る機会もいただいたりととてもラッキーでした。
いとうせいこうさんとのセッションは本当に本当に楽しみです。

この度コーディネーターとして名前を連ねておりますが、私は熊野にも、熊野大学にも新宮市にも行ったことがありません。
中上健次の作品やエッセイや対談を読んだ限りです。しかしその限りで随分とできることはあると思っています。
どうぞ5月3日が、晴天であるようお祈り頂けましたら幸いです。