ネガポジのこと

京都のネガポジというライブハウスが閉店する、という報せをTwitterで見た。ネガポジには、2001年くらい(だと思う)から3年ほど、毎月ライブをさせてもらった時期もあるほどたくさん出演した。また、宅録ではなく初めてエンジニアの人に頼んで音源を制作した場所でもある。当時作ったCDR作品は3枚あって、今も歌っている「絶景」や「423」はこの頃に既に歌っていてそれらも収録した。
階段を降り地下の薄暗い店内に入ると、時間の感覚がなくなる。
知らず知らずその雰囲気のなか深酒してしまったのは僕だけではないだろう。
閉店の理由は周囲との音の干渉の問題とあるが詳しくは知らない。

初めてネガポジに行ったのは、2000年頃(だったか)、大阪バナナホールで行われた情報誌企画のショーケース的なイベントで出会ったブラッチックというバンドの川本くんに連れられたのがきっかけだった。デモテープも持って行ったほうがいいですよとアドバイスを受けていたので当時出来たばかりの「423」「摩擦型」という二曲を収録したカセットテープを持って行った。その日は確か店の人気バンドをブッキングした「ジャイアントシリーズ」というイベントだったか、ネガポジに足を踏み入れた瞬間は騒音寺が出演していたと思う。お客さんもたくさんいた。店に入ると左手にPA卓があり、店長の山崎さんがいた。ライブ後に紹介してもらい挨拶してテープを渡すと「おまえ、どっかで見たことあるな」と云われた。初対面でおまえ と云われ少しムッとしつつその時はそれ以外あまり話さず川本くんとビールを吞んで話して帰ったような気がする。
翌日、山崎さんから電話がかかってきてテープの楽曲を褒めてもらい、ネガポジでライブをすることになった。当時の「423」は、今のキーよりも一音か一音半ほど高く、確かに聴いた人がびっくりするほどのファルセットだった。山崎さんとは後から話して知ったがプログレやロバートワイアットが好きということで、僕の歌にどこかしら同じ匂いを感じていたようで、とても熱心に歌を聴いてもらった一時期が確実にあった。
キツネの嫁入りのマドナシくんが同じくネガポジについて書いているブログの中にもあるが、確かに山崎さんは終演後、出演者をPA卓の前に立たせ、よかったところ、ダメだったところを主観でズバスバ言うことが多く、出演者に対して厳しいハコみたいなイメージがネガポジにはいつからか付きまとっていた。そこに嫌気がさしたバンドは店から離れ、山崎さんと上手くいくバンドは残った。山崎さんはデモテープをもらっても聴いた後こちらからは連絡をしないと云っていた。テープ渡したなら、気になるんなら電話してこい、と。とにかくやる気を見たかったのだと思う。デモテープを渡した翌日の午前中に電話がかかってきたくらいなので僕は非常に山崎さんに気に入られ、プッシュしてもらい、魅力的なブッキングをたくさん組んでもらった。
当時僕は、今はなき、ほんやら洞の向かいのワンルームに住み、ネガポジまでは歩いてでも行ける距離に住んでいた。ネガポジに毎月出演し、音源を作り、酔いつぶれた。山崎さんが薦めるライブにもよく足を運んだ。ふちがみとふなとを初めて観たのもネガポジだったし、船戸さんと初めてステージに立ったのもネガポジだった。山崎さんは集客がダメでもライブがよければ「で、次はいつやる?」と聞く人だった。好きでよく観に行ってたミュージシャンのライブが、毎回お客さんがガラガラで、山崎さんは続けて欲しかったようだが出演者本人がもうモチベーションを保てなくなったのか、その人のマンスリーライブは無くなってしまった。ワンマンでツーステージ、でだいたいお客さんは2〜3人。本当に毎回いい歌が聴けるライブでよく観に行った。その2〜3人の中の別のお客と友達になってそこからまた新しいイベントが生まれたりとそんな交流もあった。
そんなこんなでネガポジを中心にライブ活動をしながら、少しずつ京都の他の店でもライブをする機会が増えてきたのと同時期に、自分がやろうとしている音楽と山崎さんが聴きたい音楽に当たり前だけどズレが生じてきた。決定的な何かがあったわけでもないが、何となくネガポジには出演しなくなってしまった。いつのまにか「で、次はいつやる?」に返す言葉をなくしていた。
それ以降、ライブの出演も観に行くこともめっきり無くなってしまい、その間に店長も別の人に変わったり、店内のトイレが無くなり座敷席が作られたりと幾らかの変化はあったようだが、やはりネガポジは時間が止まったような場所だということに変わりはなかった。一度知り合いのライブを観に数年ぶりにネガポジに足を踏み入れたとき、山崎さんは不在だった。
それから僕は何枚かのCDをリリースし、活動の範囲も大きく変わる中で、あのいつも薄暗いネガポジのことはなんとなく気になっていた。2013年にはいよいよ、件の「423」という楽曲をアルバムタイトルに冠した作品をリリースした。やはり山崎さんには作品を聴いてもらわなければという複雑なモヤモヤした感情を抱えつつ、あの時に自分の楽曲をあそこまで認めてくれる人がいたから今まで歌を続けてこれたんじゃないのかという想いに背中を押され、ほぼ8年ぶりくらいに山崎さんを訪ねた。相変わらず時間の止まった店内で山崎さんはまるで合成写真のように昔と変わらずPA卓にたたずんでおり、一通り近況を話してサンプルを渡して帰った。おそらく、今の山崎さんがハマるような音楽ではないだろうなぁと思いつつも数日後、丁寧な感想をしたためたメールが届いた。歌い方が変わった、と書いてあった。ホッとしたような、申し訳ないような気持ちでメールを読んだ。

ネガポジは時間が止まったかのように、僕が出演していた当時とあまり変わりがない。ただ山崎さんはかつて自作曲でも絶対にボーカルをとらなかったが,今はシンガーソングライターとして、またバンドや様々なユニットをはじめたりと、多くの変化を受け入れながら活躍している。
ネガポジは時間が進まない空間でありながら、僕が定期的に出演する直前くらいの時期が、最もロックバンドの出入りが多かった(ように思う。おそらく前の店からの移行の関係だろう)。個人的にはお店としてのポジティブな魅力をその時期に大いに感じた。自分が出演しだした頃からある一定の期間、非常にストイックな表現のミュージシャンの出演を山崎さんはプッシュしたように思う(ストイックとはネガティブでもありポジティブでもあると思う)。僕が出ていた頃に双葉双一、その上の世代に月下美人,ふちがみとふなとがいた。

そのあと自分が出なくなってからのラインナップについてはあまり詳しくない。山崎さんは一時、お店から離れ様々な滝を巡ったりと傍目には楽しそうにも映った。その後もネガポジ自身は変わらず、時代が変わったというか、音楽の聴かれ方は誰の目にも明らかなように激変した。面倒な呑みニュケーションもなくなり、面倒な付き合いとして酒場に音楽を聴きに行くという行事が娯楽から次第に距離を置くようになった気がする。

頑固オヤジのいるライブハウス。度々は面倒ながらも、たまに無性に顔を見たくなる頑固オヤジ。しかし頑固オヤジはたまにしか顔を出さない輩には腹を割って話をしないだろう。
閉店の報せに、いつまでも変わらないものなどない、実はゆっくりながら時間はどこでも進んでいたことに気づかされる。
面倒な頑固オヤジは、たまに会いたくなるから余計に面倒だ。